2020年9月14日(月)
カール・フレッシュ:C-dur , a-moll
クロイツェル:42の練習曲(13番)
練習できる時間は30分強ということで、簡単にモダンヴィオラの音出し。音階を弾いて、クロイツェルの13番を選ぶ。とはいっても時間に限りがあったため、アルペジオで書かれている音符を和音で弾き、最後まで辿り着いたところで時間切れ。違う角度から捉えられるので、これはこれで。また時間が取れる時に取り入れてみよう。
2020年9月15日(火)
ジェミニアーニ:音階
自分のバロックヴィオラを買ったばかりの頃、先輩から練習の一環として取り入れると良いと教わったのがジェミニアーニの教本だった。幸いペトルッチ(IMSLP)に楽譜があったのでダウンロード、練習に使えそうなページをランダムに印刷して使用している。ここ2日ほどバロック楽器を触っていなかったことと、曲を中心に弾いていたため、今日は音階を中心に据える。
2日で感覚がモダン仕様になってしまっていて、バロックの方になかなか切り替えができなくなっていた。耳も鈍っていたのか、音を「聴く」モードに耳を持っていくまでに30分以上を要する。暑さと湿気のせいか調弦が落ち着かず、練習も遅々として進まず、結局1時間が一段に満たない1つの音階で終わってしまった。金曜日まで楽器を弾く時間はほぼ取れないので、せめて音に対する集中力が保てるような対策を考えておかないといけない。
2020年9月16日(水)
ジェミニアーニ:音階
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー(ヴィオラ編曲版)
本日練習に割ける時間は1時間。昨日音階で引っ掛かってしまったことが気になり、バロックヴィオラの音出しに充てる。
ジェミニアーニと、テレマンは12番。
何を演るにしても、小細工せず、出てきた音をそのまま素直に受け入れ、耳に入れる(脳細胞へ届ける)ことの何と難しいことか。出したい音のイメージなどは敢えて作らない。聴いている側が演奏でどのように感覚を刺激され、どんな情報を演奏している側から受け取るかは自由だ。「これは、こういうものです」というような、感覚の共有を強制するような演奏は私の目指すところではない。しかし気を抜けば、「良い音」を出そうとしてしまう。
こういう時、大体楽器との連携は取れていない。モダンヴィオラは一定の距離を置いて演奏に付き合ってくれるが、正直者のバロックヴィオラは高確率で音がかすれる。
承認欲求から来る見栄だ。見栄を張るにしたって最終目的は音楽にあるはずなのに、「良い音」が目的になりがちなのは何故なのだろう。
2020年9月17日(木)
他用のため、練習お休みの日。
中島敦が書いた『名人伝』という作品がある。古代中国を舞台に、弓の名人を志す紀昌の生涯を描いた作品だ。そこに登場する師匠・飛衛が紀昌に課した修行と、甘蠅(かんよう)老子が説いた「不射乃射」という教えに興味を惹かれ、折に触れては読み返している。
昨日、不射乃射ではないにせよそれに近いような人物の話を耳にして、『名人伝』を思い出した次第。『文字禍』も『名人伝』も、演奏のヒントは楽器関連に止まらない。
2020年9月18日(金)
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー(ヴィオラ編曲版)
水・木と練習できなかった分を金曜日にまとめてやろうとしたら、他の用事が入り、結局確保できた練習時間は1時間。最初にバロックを弾き始めてしまったので、それで時間が終わってしまった。こんなことならモダンから弾いておくのだった。
気分的に、曲を弾きたかったのでテレマンの無伴奏Vnのファンタジー12番。2・3楽章目のVivaceとPrestoのテンポ設定に悩む。Prestoはともかく、VivaceがうっかりPrestoになってしまい両者同じような雰囲気になってしまうのはいただけない。かといってAllegroというわけでなし、どのように表現しよう。次に練習できるのは明後日以降になってしまうが、その時にヒントを見つけられると期待。
最後にパッサカリア(ビーバー)の暗譜が抜けていないか一度通して確認。よかった、まだ覚えていた(ただし重音でたくさん音がかすれる)。
2020年9月19日(土)
他用のため練習お休み。
午前中オンラインレッスンを行い、午後は勉強も兼ね、演奏会を聴きに都内へ。コロナ禍で延期になってしまったが、そのお陰もあって行くことができた。小林道夫先生のピアノ伴奏に言葉が出てこない。一音一音が適材適所、正面から音楽と向かい合っておられる。なんて清々しい。テノールの水越啓さんの歌と相まって、耳だけでなく、皮膚からも音楽が入ってくる。「感動」という刺激物ではない。これは栄養だ。滋味豊かに、ひたひたと、心も体も静かに満たされていく。なんて楽しいのだろう。
技術と精神の均衡が取れていなければ成立しないであろう、演奏を受け取る人の心を満たすことが出来る音楽、目指すところではあるけれど、道のりはまだまだ遠い。
2020年9月20日(日)
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー(ヴィオラ編曲版)
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラソナタ Op.31-4
80を過ぎた武術の達人が、攻撃の間を縫って歩を進めている。何もしていないはずなのに、老達人は傷一つ負っていない。実は全ての攻撃に対して何らかの策を施しているのだが、知らない人間が見るとただ普通に歩いているようにしか見えないのだ。
昨日の演奏は、バトル漫画の1シーンに例えるとこのような感じ。そして中島敦『名人伝』を彷彿とさせるものだった。そんなインスピレーションの源泉を掘り当てたような気分になれた日の次の日は、触発されて練習が非常に捗る。
良い演奏は、間違えないことと同義ではないのだ。間違えやアクシデントすらも演奏の一部にしてしまうことができたら、それは良い演奏と言えるのかもしれない。
バロックヴィオラはテレマン。音符を間違えず弾くことも大事だが、同時に音楽として取り込めることを目指す。VivaceとPrestoの弾き分けに悩んでいたが、気持ちが楽になったのか疑問が一気に解消されスッキリ。ただし予想はしていたが、一音一音適材適所というのは集中力の持続でもあるので気が張る。
モダンヴィオラはヒンデミット。残り時間20分足らず、楽譜の付録になっていた自筆譜のコピーを見て音を出す。印刷の楽譜と違って手書きの譜面は、目に入れた時に得られる情報量が多い。1楽章は弾けなかったので、次は1楽章も自筆譜を見ながら弾いてみよう。