2020年9月7日(月)
ジェミニアーニ:音階
ビーバー:パッサカリア
クロイツェル:42の練習曲(13番~15番)
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラソナタ Op.31-4
台風の影響で湿度が高い。そのせいか弦も落ち着かず、バロックヴィオラを弾いている最中の調弦確認の回数は普段よりも多め。湿気でペグも固く、回しづらくなっている。
最初にしばらく音階、残った時間でパッサカリアの1ページ目。うっかり一音間違えるだけで違う場所へワープしてしまったり、無限ループに陥ってしまうということが判明した。暗譜のいい訓練にはなるかもしれない。曲が身体に馴染んできたら、モダン楽器でも弾いてみよう。
モダンは音階→クロイツェルの13番~15番。15番からしばらくトリルを扱った練習曲が続くので、16番以降は別の機会に。初めてクロイツェルに触れた小学校時代はどの曲も訳がわからないまま弾いていたが、その中でも特に、指が疲れるばかりで訳が分からなかったのは15番以降のトリルを扱った番号だったので、未だに苦手意識がある。クロイツェルを練習に取り入れているのはその苦手意識の克服も兼ねているので、どこかでやらねばと思いつつ違う番号を見てしまう。
ヒンデミットは昨日に引き続き2楽章。細かい音符の扱い方がいまいち腑に落ちておらず、何度も同じ2~3段を繰り返し弾きながら、解決の糸口を探す。学生時代の時のイメージが邪魔をして、中々見えない。練習は、傷口を覆ったかさぶたを剥がすのに似ている。
2020年9月8日(火)
ビーバー:パッサカリア
まずは1ページ目。何とか覚えられたようなので、1ページ目を練習した流れで2ページ目に入る。重音はもちろんのこと、旗が3本以上の細かい音符も増えてくるページ。だからなのか、細かい音符が綺麗に弾けていないことに気が付いた。音符の旗が3本に増えた途端、そこだけ雑というか、ショボいのだ。素敵じゃない。ゆっくり弾いて音の居場所探しをして気付いたことは、そこの音符は手編みのレースのように手触り柔らかく、優しく細やかだということ。ただ弾けば良いというものではないし、その心構えは右手を通じてそのまま音としてモダン以上に正直に出てきてしまうらしい。思っている以上に、バロック弓の表現というのはモダン弓に比べて繊細なのかもしれない。そしてビーバーはバッハより前の時代の人。バロック時代は時代によって弓が変わっていくというけれど、ビーバーの時代の弓を使ったら更に違った表情が見えてきそうだ。
そして2ページ目も暗譜は苦戦の予感。1ページ目を忘れないうちに覚えてしまいたい。
2020年9月9日(水)
他用と体調不良のため、練習お休み。
練習は休んだけれど、備忘録代わりにここに書き留めておきたい。
月曜の夜、古いホームビデオのデータを入れたDVDを視ていたら、シノーポリの演奏会が突然出てきた。大学受験前に亡くなった指揮者なので「オペラ公演中にオケピで亡くなった指揮者」という新聞記事の印象しかなく、遅まきながらシノーポリの音楽に触れる初めての機会となった。
オケ奏者のインタビューにヴィオラ奏者・百武由紀先生が映っておられたのも驚いたが、オーケストラの演奏そのものに驚いてしまった。
『ダフニスとクロエ』第二組曲。演奏はワールド・フィルハーモニック・オーケストラ、会場は両国国技館。この時1回限りのメンバーで編成されたオケだったそう。
美味しい味噌汁を飲んだ時のように、音楽の栄養が心身に沁みていく。いつ振りにこんな演奏を聴いただろう。最近のオーケストラ演奏と一体何が違うのだろう。そこには音ではなく、好もしい「色気と香り」が流れていた。指揮者の違いだけではない気がする。
翌朝もまだ音の記憶が耳の残っていた。本当に、一体何が変わってしまったのだろう。
2020年9月10日(木)
音読
ビーバー:パッサカリア
昨日の体調不良は熱中症だったようだ。頭痛が残っていてとてもがっちり音を出す気分にはならないけれど、弾いている間は痛みを忘れられるので、良い機会なのでモダンとバロックでビーバーのパッサカリア弾き比べを行う。ついでに暗譜の練習も。
音を出す前に体調の様子見と準備運動も兼ねて、中島敦作品の音読を行う。
そもそもこの曲を知るきっかけとなったのはモダンヴィオラでの演奏なので、ようやく機会が作れたというところ。音はバロックに比べれば楽に出るが、そもそも楽器から身体に伝わってくる感触が違うので、演奏中に得るインスピレーションも違うということがわかった。どういうわけだか、バロックで弾いた時の方が暗譜が飛んでしまう。まだ音を出す方に手一杯な面があるのかもしれない。
2020年9月11日(金)
ジェミニアーニ:音階
ビーバー:パッサカリア
カール・フレッシュ:音階教本(C-dur , a-moll)
クロイツェル:42の練習曲(16番)
バロックヴィオラで音階を弾いた後、少し弾き方を変えてパッサカリアを暗譜で弾く。暗譜 → 引っかかったら楽譜確認 → 暗譜の繰り返し。最終的に2,3か所引っ掛かる場所はあったものの、何とか最後まで通すことが出来た。引っ掛かった場所は、まだ覚えきれていなかったのと、細かい音符が入りきっていなかったことと原因がはっきりしているので、見直してクリアしていこう。
モダンヴィオラはいつも通り調号なしの音階を弾いた後、クロイツェルの16番。昔は3連符とトリル付き2連(3の指と4の指を使うトリル)の弾き分けが難しかったが、案外すんなりと通った。指が疲れるだけだと思っていたトリル練習は、自分自身でもハードルと敷居を上げてしまっていたのかもしれない。
時間切れのため、モダンでは曲は弾かず。
2020年9月12日(土)
ビーバー:パッサカリア
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラソナタ Op.31-4
両方とも通し練習の日。バロックヴィオラから音出し開始。楽譜を見ずに、最初はまず暗譜で弾けるところまで弾く。通るようになったので、練習の甲斐はあったらしい。
弾きながらふと思う。果たしてバロックヴィオラを弾く際、楽器が身体の一部のようになっているのかと。音を出したことで目的を果たした気分になっていはしないか。目的はあくまで楽譜に記された音楽の具現化にあり、楽器を鳴らす行為そのものではないのに。やはりどこかで、かすれない&引っくり返らない音を出すことで精一杯になっている部分があるのだ。曲の通し練習に加え、本日の目標を「楽器の演奏感覚を自分の身体感覚に直結させる」ことに定める。両手の指先がアンテナだ。
思えば最初に感じたバロック楽器演奏の面白さは、この感覚のダイレクトさではなかったか。音符を弾くことに必死になっていて、大切なことを忘れていた気がする。
バロックヴィオラで一汗かいたところで、モダンヴィオラはヒンデミット。掴みかけた細かい部分での演奏感覚は、弾かなかった数日で抜け落ちてしまった。しかし最早訳が分からず弾きづらい曲という扱いではなく、一つの作品として楽しめるようになったので、あまり焦りはない。また少しずつ練習して詰めて行けば良いよね、というところ。幸いSchott版の巻末にヒンデミット自筆譜のコピーがあるので、今度はこっちを参考に弾いてみよう。
2020年9月13日(日)
音読
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007
ビーバー:パッサカリア
1時間ほど音読を行い、モダンヴィオラでバッハのチェロ組曲1番。画一的にならず1つ1つが全てちゃんと違う味付けになるためには、バロック楽器で演奏するときに増して、楽曲の持つ特色や個性のようなものを認識しておく必要があるのかもしれない。組曲に登場する舞曲 Allemande , Courante , Sarabande , Menuett , Gigue 、よくよく考えれば国際色豊かだ。音符をそのまま音にしていたのではメニュー名は違うのに味が全部似ている料理屋さんのようになってしまうため、そこに意識を向けつつの練習となった。
これはバッハの作曲ではないとかいう話が一時期出ていたが、今はどうなのだろう。誰が作曲したにせよ書かれた時代がバロック時代から大きく変わる訳ではなさそうなので、いわゆる「クラシック音楽」にはない個性の豊かさや懐の広さ、現代に不思議とリンクする感覚は大切にしたいところ。
無伴奏チェロ組曲第1番を全て弾き終えたところで、楽器の無事確認を兼ねてバロックヴィオラを弾く。ビーバーのパッサカリアは、暗譜の怪しい1,2か所を除けば、段々頭に入ってきているようだ。一音間違えると違う場所へミスリードされてしまうので、まだまだ油断大敵。